学志入楽(慶應義塾大学通信教育課程)

思うところあり、慶應義塾大学通信教育課程(経済学部)に学士編入しました。志を持って楽しく学んでゆきたいと思います。

知識と智識

 初詣に奈良に行ったという話は前の記事で書きましたが、ハンドルに因んで奈良絡みの話をもう少し。通信教育課程の学生はテキスト、スクーリング、音声配信、E-Learningに論文執筆という多彩なメニューで学習して単位を積み重ねることで卒業に至ると言うことは今更言うまでもありません。通信教育課程の場合、入学選考には志望理由書が重視されますから、何を学びたいか、どのように学びたいか、学んだことをどう活かしていきたいかが問われます(慶應の志望理由書の場合、志望学部に関連する図書の論評と特に慶應を志望する理由も記入する必要があります(私が出願した時の場合))。

 最近、特に意識するのは学んだことをどう活かしていくかということ。通常、知識と言うと今の感覚だとある物事について知っていることがら、みたいな意味で捉えられることが多いと思いますが、仏教では仏縁に導かれて結ばれる知人とか寺院のような施設の建立等になると必要な資材や資金を寄進したりするという人々の集合や協力という意味が強調されて来ます(詳しくは学友にもフーテンのドラさんのように宗教界で実際にご活躍されている方がいらっしゃいますので譲るとしまして)。奈良の大仏のモデルに河内の智識寺にあったとされる盧舎那仏があるそうです。行幸の途中、智識寺に立ち寄った聖武天皇は当時抱えていた社会不安の解決に民衆の力の結集が不可欠であるとの問題意識から大仏造立の詔では身分の別なく誰もが一掴みの土でもいいから持ってきて参加して欲しいと訴えるようになります。

 翻って現代の複雑化した社会の中でも今日、大仏造立が模索された当時のような種々の不安が社会を覆う世相となっているような気がします。そのような時に「もう一度学ぶ喜び」を実現する機会を得ている私は学習で得た「知識」を使ってどのように社会に参加すべきか。論文計画も具体的にせねばという時期にその初心をもう一度立ち止まって考えているお正月です。

http://www.osaka-c.ed.jp/imamiya/21syokuin/k-tanaka/tishiki_daibutu.pdf