学志入楽(慶應義塾大学通信教育課程)

思うところあり、慶應義塾大学通信教育課程(経済学部)に学士編入しました。志を持って楽しく学んでゆきたいと思います。

学歴社会の実像と虚像

 本日、同志社大学で「学歴社会の実像と虚像」のシンポジウムが開催されました。仕事の都合でいけないかと思いましたが、ぎりぎり間に合いました。会場ホールには多数の聴講者がいました。慶大の清家塾長がパネリストプレゼンテーションとパネリストで登壇されました。司会の橘木教授(同志社大)と清家塾長とは同じ労働経済学分野で切磋琢磨されてきた関係で橘木先生の依頼は断れないとのことでした。

 このブログは慶應通教のブログなので塾長のスピーチに絞ってみると、慶應や同志社のように多様な建学精神の私学があるからこそ教育の多様性が確保されている(奇しくも昨日の「八重の桜」では官学のみが徴兵免除の特典が継続されたことへの対応がドラマで取り上げられていましたが)。学生は顧客であるとの風潮もあるようだが、重要なのは卒業後にその学校で勉強したことで卒業生の人生がよりよきものになることが教育機関にとって重要である。そして、卒業生が再度母校を評価し、子供に学ばせたいと思ってもらえるかどうかが重要とありました。

 昨今は学問研究より明日役に立つhowtoに目が行きがちだが、現在のように変化の激しい時代だからこそ現状に疑問を持ち、問題を特定化して、自身なりの仮説を立てて検証し、体系的な対応を考えてゆかねばならない。このことを慶大理工学部の前身、藤原工業大学の工学部長、谷村豊太郎が周囲から即戦力の育成を望まれたところ、すぐに役立つ人間はすぐに役に立たなくなるのでそのような教育はしない趣旨の至言を紹介して述べられていた。

http://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/2000/226.html

 今日のシンポジウムでは18歳人口の50%以上が大学に進学し、大学での勉強よりも手に職をつける方に適性がある人も大学に入ってきている現状がある。そうした人のための職業専門教育と学問教育を分離した方が良いとの議論も出ているが、高等教育機関には良き市民(良き中間層?)の育成を学問を通じて一人でも多くの人に行う必要がある。手に職をつけて社会人として軌道に乗った人が学問をしたくなったときの受け皿も必要との認識は他のパネリストからも示されていた。通教の入学案内冊子の冒頭に書かれていることはまさにこのことを指しているし、この高等教育機関の使命は慶大では通信教育課程が担っている。普通課程、特別課程、学士入学と入学区分は違えども学校側は学生にこのような思いを持って教育を行っているということを塾長の言葉から知ることができた。

 4月29日の入学式には仕事の都合で出席できませんでしたが、半年遅れで入学式に来たような気分にもなったスピーチでした。スケジュールが合えば、来夏、労働経済学も受講候補に入れたいですね。